hhogのブログ

書きたいことを書いて、糧にしていく

人生において、何を目標とするのか

私は、会社員としては、はっきり言って出来が悪い。「ポンコツ」と言われても仕方ないと自分では認識している。予想外のことに弱い、誰かと話をしていても話が発散しがちでうまくまとめられない、報告の仕方が下手など、相手からも言われれるし、自分でも自覚がある。口が立つ人を相手にすると、大抵は負かされるし。

だが、それでも言えるのは、私としては「会社員として大成することを目標とはしていない」。より良い人生を送り、納得の行く人生にしていきたい。だから、私は会社員として大成することを考えてはいない。

会社員として働くのが苦手なら、早く方針転換をするべきだったのだ。もっと若いうちに。自分に向き合ってこなかったことのツケが回ってきたのだ。でも、それならそれで、今からでも方針転換をした方が良いのである。結局のところ、自分で気がつけないことには何も始められないのだから。

単に「より良い人生を送りたい。幸せになりたい」と考えるだけでは、目標とは言えない。しかし、「より良い人生を送りたい。幸せになりたい」と感じることに、自分の人生におけるヒントがあると捉えている。こういう時に言語化が不得意なのは損だな。

自分が苦手なところにいてはいけないな。

主体性を持った生き方をする。従属からの脱却

誰かに何かを言われて、そのことに対して「うるさいな」と感じるのであれば、感じた事実は認めて良い。だが、「うるさいな」とまで感じるようなことは、見過ごすべきではない。

大体において「うるさいな」とまで感じさせられるようなことは、よく見れば自分の不備や不足を指摘されているものである。都合の良い解釈をするなら、「うるさいな」と感じるような指摘事項は、私にとっては不得意な分野・行動があぶり出されているのだと解釈できる。私はそう感じる。だから、相手に対して直接的な恨みを持つのは筋違い。

このような状況でするべきは、自分の得意な分野は何なのか、苦手な分野や状況で戦おうとしていないかといった、自分の状況の再分析である。そうやって考えていくと、どうしても会社を辞めるという方向に進んでしまうのだけれど、そこは冷静に。

でも、どうやったら自分の得意な分野や性質を活かせるか、それを考えながら動くなら、やっぱり一人で動いた方が良い。一人でできることなど知れているから、会社や団体のような組織を作って動くことが良いとされているのだろうけれど、組織には「組織を作って動かす者」と「組織にして動かされる者」がいる。私は、常に後者だった。

前者であれば、たとえそれが直接的には自分のためではなく、組織のために行っていることだとしても、自ら動いて結果を出そうとしていることに違いはない。だが、後者はそうではない。どこまで行っても主体性などなく、従属的。

従属しているだけだと、自分の人生を生きているとはいえないな。他人の人生を生きているだけだ。だから、自分の人生を生きるために環境を変えたい。いや、変える。変えるのは、自分自身の意思。ブログはその一環。

働く業界を変えるには?

私は長年、IT業界に身を置いている。もう25年以上になる。以前はIT系の仕事が楽しくて、休日も自分から勉強するほどだった。

しかし、今ではIT業界での仕事に疑問を感じてしまい、身が入らない。

ある業界に身を投じて、長年その業界で働く。それは普通のことである。長年働いていれば、経験や知恵がついていって、より良く働けるものだとどこかで思っていた。でも、私の場合はそうはならなかった。IT業界で働くことへの関心をなくしてしまった。

長年属してきた業界に関心を持てなくなった、それが会社員という立場で発生してしまうと、致命的のように思える。人であれば、興味や関心が他に移ることなど、何も珍しくはない。だいたい、会社という存在であっても、最初に始めた事業を何十年後かにはやめていて、別の事業をしていたということはあるのだ。だから、ある時期に持った関心事が途中で関心を持てなくなるのは、何も不自然なことではない。

ただ、会社員という属性を持った者が「今の事業や業界に関心を持てなくなりました。別の事業・業界に関心があるので、そちらに移ります」ということが簡単にはできない。自分が関心を持っても、受け入れてくれるところがあるかということがまっさきに思い浮かぶし、実際、受け入れるところがあるかどうかを考える必要がある。

でも、会社員のままで実現しようとするから、うまくいかないのかも。やるなら個人で、一人で。むしろ、個人で、一人でできることに自ら移るべきなのかもしれない。会社に受け入れてもらうことを考えるのではなく、自分で動く、自分でやる。希望する業界によっては、個人では同しようもないなんてことはあるかもしれないが、むしろそういう業界なら、関わらないほうが賢明なのかも。

一度決めたブログ名・ドメイン名だが、しっくりこない

ブログを再開したが、やっぱりブログ名・ドメイン名で悩む

このブログは、「ブログを再開した」としたブログとはまた別のブログであり、それこそ個人的な日記である。採算や何かの役に立つことを考えて書いているものではないから、気楽なものである。

しかし、再開したとするブログの方は、決めたはずのブログ名・ドメイン名でまた悩んでいる。

なお、ドメインは既に取得した。そのドメインWordPressを設定済み。ドメイン取得からWordPressのインストール、ブログの公開までは簡単なものだった。特にWordPress。今回はレンタルサーバーを利用しているのだが、そのレンタルサーバーで用意されている「WordPressを簡単にインストール」する機能を利用すると、それこそ数クリックでインストールできてしまう。以前なら「PHPApacheMySQLをインストールして、それからWordPressのインストールを・・・」とやっていたものだが(WordPress 2.xの頃に経験済み)、便利になったものだとつくづく感じる。

端的に言ってしまえば「ブログ名・ドメイン名はよく考えて決めましょう」となるのだが、どうしたものやら。

ブログ名・ドメイン名を決めるのがこんなにも悩ましいとは思わなかった

それにしても、考えている間も感じていたことだが、ブログ名・ドメイン名を決めることがこんなにも悩むことだとは思わなかった。

ブログの内容をうまく表している名前で、安っぽくなく、変にキラキラしたような名前ではなく、誰かとかぶることなく、それでいて難解ではない、なるべく短く端的な名前が良い。ネット上の記事や参考にしている本などを何度も読んだところで、今はこのように解釈している。このように解釈した上で何日も考え込み、いくつも案を出しては比較・検討をして、そうした結果を受けてブログ名・ドメイン名を決めた。その後、実際にドメインを取得している。何故ならば、ブログ名・ドメイン名が決まらねば、ブログを書こうにも書くことすらできないから。

それでも、設定したブログ名、取得したドメイン名がしっくりこないと来た。何故だ?

今回作ろうとしているブログは、雑記・個人ブログ

今回仕切り直しと称して始めたブログは、雑記・個人のブログという位置づけである。

本当は特化ブログの方から始めたかったし、特化ブログとして始めるためのネタもあるにはあるが、ブログ自体をどうやって作り上げていくのか、本やネットから情報は得ているが、自分としてはまだブログを作っていくという経験をしていないことから、ピンと来ないところがあった。

それで、雑記・個人ブログをまず始めて、そこから特化ブログを追加していくことにした。個人のブログであることを押し出した形でブログ名・ドメイン名を決めた。

しっくりこない理由

今回考えたブログ名は、ハンドル名のつもりで選んだ名前をひらがなにして、そのひらがなに「ブログ」という言葉を組み合わせたものである。その「ひらがな + ブログ名」の組み合わせがどうにもこそばゆいようは、どこか幼っぽく見えるような気がしてならないというのが理由である。

ハンドル名のつもりで選んだ名前は、いわゆる人名。造語でも何でもなく、本当にただの人名。オーソドックスな、昔からある人名である。漢字で表記することが一般的な人名であるのは確かなのだが、それをひらがなにして「ブログ」という言葉を足しただけでそんなふうに見えるとは・・・。無論、自分の感じ方と他人の感じ方は異なるだろうから、同じ命名をしたとしても、他の人であれば気にならないと感じられることは十分有り得る。

でも、命名した本人が気になるのだ。気になってしまうことはどうにもならない。

WordPressが動作するようになることと、ブログ名・ドメイン名を含むコンテンツ寄りのことは全く別の課題

当時は業務で行ったのだが、WordPressを使ったブログの立ち上げ方は知っていた。そのうえで、いくつかのサイト・書籍等を参考にして、機能的な話よりはブログを使って何をするのか、どうすれば見てもらえるのかなど、コンテンツ寄りの話を仕入れながら今回は作業を進めていった。業務で要望されるブログと、自分自身で立ち上げたいブログはぜんぜん違うものだということは、始める前から理解していたので。それに、先人たちの知恵を借りない手はないとも思った。自分で努力して勉強してくことが大前提ではあるにしても、独りよがりになるのも避けたかった。

以上のことを踏まえながら進めていたのだが、最初から躓いた格好。それでも、ブログ名・ドメイン名を含むコンテンツ寄りの話はとても重要であり、内容を間違えれば何にもならないことを認識した。

これからどうするか?

ブログ名・ドメイン名を再考する。命名に関する情報を追加で仕入れる。

取得したドメインは、無駄になるかも。しかし、実際にやってみたから経験できたことである。いくつかのサイト・書籍などで情報を仕入れ、自分なりに解釈して、決めるべきことを決め、それから行動をしているのだけれど、それでも失敗はする。

失敗自体は悪いことではない。むしろ、行動したから失敗もしくは成功という結果が出るのである。次に活かしましょう。

今、とても意識していること

最初に

今、生活をしていく上でとても意識していることがある。それは以下の通り。

  1. 健康には気を使う
  2. 体が動くうちに不労所得を作る
  3. 他人から仕事を受けるのではなく、自分のしたこと・作ったものなどを売る仕事をする

健康には気を使う

何をするにしても、体が動かなければ何もできない。幸い、これまで大病することはなく、日常生活を送る上では不自由はない。加齢による老眼はあるけれど。

ただ、ほぼほぼ不自由なく体が動かせていると、それが当たり前だと思ってしまう。それに、元々酒が飲めない、胃が小さいのか暴食もできないときているので、いわゆる暴飲暴食で健康を損ねてしまいそうなことはないと思っている。それでも、食べるものに気を使う、散歩や多少の筋トレをすることで体を動かす、ストレスを溜め込まないなど、健康には気を使う必要がある。

無論、いくら気を使っても、病気になる時はなってしまうもので、どうしようもないことはある。けれど、何の気も使わずに健康を損ねてしまうよりは、やれることはやっておきたい・続けていきたいものである。

体が動くうちに不労所得を作る

先の健康の話とも関連するが、いくら健康に気をつけていても、加齢による身体機能の低下は避けられないと考えている。今は何時間も散歩できていても、そのうち5分も歩けなくなるかもしれない。加齢とは別に、病気や事故で体の機能を損なうこともありうる。体が動かないと、一般に考えられるような仕事をすることは難しくなる。歩けなければ通勤できないし、手や足に問題が生じれば作業をすることができなくなる。

当然、そんな状況は訪れてほしくない。だが、自身が気をつけていても、自分の力の及ばないところで問題が起こる可能性はどうしても否定できない。

よって、体が動くうちに不労所得を得られるようにしておく。現時点では、税引前で100万円弱/年の配当が入るぐらいにはしてあるが、税引き後は70万円台になるから十分とはいえない。この不労所得をどこまで増やせるか、それが課題である。

具体策としては、手持ちの現金をギリギリまで投資信託(現状はオルカンのみで、それ以外はやらない)に回す。ただ、投資信託に回せる現金を増やしていく必要もある。

他人から仕事を受けるのではなく、自分のしたこと・作ったものなどを売る仕事をする

受け仕事は、仕事を自分で考え出さなくて良い代わりに、自分の都合で仕事ができない。仕様や納期をきっちりと守る必要がある。

だらしないのは論外だが、不可抗力・病気による失敗・納期遅れであっても、納品に失敗すれば単に「納品に失敗した」という事実が積まれるだけである。そうなった時、発注元は発注先の事情を勘案してくれるだろうか。勘案してくれることは、ほぼほぼないと見ている。だから、受け仕事をするのではなく、自分のしたことが売り物になるようなことをしたいのだ。

同じ努力をするなら、自分で制御・管理できる範囲を広げられる方が良い。しかし、当然のことではあるが、受け仕事とは別の厳しさがある。自分が何を言ったところで、自分のしたことが相手に受け入れられなければ、一銭にもならないのである。だから、自分で仕事を作り出すとは言いつつも、実際には買う側、顧客に受け入れられるかどうかは考えて行動する必要がある。中には、自分の思う通りにやってそれを売ってみたら売れた、ということはあるかもしれないが、稀なケースだと考えるようにする。

最初から当てようとするから、何もできなかった

何かを始める際にありがちなこと

ブログにしても何にしても、新たなことを始める時は、期待するものである。そして、「できれば」などという程度ではなく、意識できていないと「最初から当てたい」と思い込んでいるものである。

何かを始める際にありがちなことである。

失敗したくない意識

何かを始めた際に「最初から当てたい」と考えるのは、見方を変えると「失敗したくない」という意識の変形になると私は考える。

失敗できないと考える理由は、おそらくお金。始めようとすることで金銭を得たいと考えている場合、「これで何とかしないと。儲けを出さないと」と強く考えるだろう。そうやって考えること自体は良いし、何かを始めることの理由としては正当である。間違ってはいない。

しかし、これは負の循環に陥りやすい。失敗できないと考えるから、一度決めたとしたことでも迷いが生じる。迷い始めると、どれが最善なのかがわからなくなり始める。その結果、考えてはいるが、表に出しているものは何もない状態になり、傍から見れば何もしていないのと同じ、となる。何も行動していないのと同じとなってしまう。

対処は「まず、自分の状況に気がつくこと」

まず、自分一人では、自分の状況に気がつくまでは自身で対処することはできない。よって、最初の対処は「自分が気がつく時を待つ」となってしまう。こればっかりはどうしようもない。

ただ、気がつけるきっかけを得られるようにする工夫はできる。日頃から新たな情報を仕入れる。その道で先行している人達がいる(本当の意味での目新しいことでもない限りは、先行している人達はいるものである。ブログや投資、アプリケーション開発などであれば、先行している人達ばかりである)はずなので、先行している人達が述べていることを調べる。ブログ、SNS、書籍など、調べられる媒体は複数存在している。

自分で考えて行動することは大事だが、独りよがりになって袋小路に迷い込むのは避けたい。

多分、自意識過剰

改めてブログを始めようと思い立ち、善は急げということで作業を始めた。

始めるブログはこのブログのほか、独自ドメインのブログの2つ。

独自ドメインのブログを始めようとした時に困ったのが、以下のこと。

今回は長続きさせたいと思ったので、真剣に考えたのだが、どちらもなかなか決められなかった。

特にハンドル名。「苗字 + 名前」の構成で行きたいとしたところまでは良かったが、「名前」の部分を「漢字・ひらがな・カタカナ」のどれにするか、また、どんな「名前」にするかでずいぶんと悩んだ。

悩んだというよりは、例えば「太郎」という名前を使うとして、ひらがなもしくはカタカナで名乗るとする。そうした場合、これは自分の問題なのだが、どうにもこそばゆいような感じがしてならなかった。

このことで1週間悩んでしまったので、最後は「どうでも決めないと」と思って決めた。「名前」の部分は「ひらがな」にした。けれど、いざそれをプロフィールに書いてみると、やっぱり落ち着かない。それがハンドル名だからなのか、ひらがなにしたからなのか。

それに、他人にどう思われるか、ということも感じている。もしかしたら、このことが一番大きいのかもしれない。自意識過剰になっている気がする。自分が気にするほどに他人は気にしないものであるのは、よくあることだから。むしろ、気にすらしていないかもしれない。

もう一つ、命名は非常に重要な要素だと認識した。今回が初めての命名だとすると、上手に名前を決められるようになるにはいくつかの名前を作る経験が必要だと感じた。

ブログや書籍などの形で発信されている、先人たちの知恵はありがたく使わせてもらう。そして、自分も役に立つ情報を発信していく。