hhogのブログ

書きたいことを書いて、糧にしていく

アウトプットするには、インプットから

アウトプットすることの重要性に気がついて、「とにかく何かを始めないと。だったら、ブログだ」ということに至り、こうしてブログを書いている。

本命のブログは、独自ドメインを取得して構成する特化ブログなのだが、このブログも思いついたこと、気がついたことをアウトプットする場として使っていく。

ところで、アウトプットをするなら、その元になる知識や情報は必要である。アウトプットしたいから知識や情報を仕入れるとなると不自然な気がしてしまうのだが、でも、実際問題として何かを出したい(アウトプット)のに、自分の中が空っぽなら、アウトプットのしようがない。それに、以前は関心を持ったことはよく調べたものである。

過去のことで言えば、車のことはよく調べた。最初のきっかけが何だったのかはもう思い出せないが、気がついたらクルマ雑誌を付きに何冊も買い、暇さえあればそれらを読んでいた。特に初代ロードスター、初代インプレッサを買う時は、カタログでさえ何度も何度も読み直していたものである。そうやって、車に関することを色々と覚えていった。ロードスターインプレッサ以外にもヨーロッパ車への関心が高かった覚えがある。

ただ、当時はそうやってインプットしている量は多かったが、アウトプットはしていなかったな。ブログもSNSもまだなかった時代だったが、インターネットの利用はだんだんと広まってきていて、情報を発信する人は自分でWebサイトを作って発信していた。そう、当時でも方法はあったのだ。もしあのとき、私がアウトプットすることに努めていたら、何をどうアウトプットしていただろうか。

他にも、ゲームに興味があり、ゲームに関するインプットもそれなりにあった。プレイステーションセガサターンは所持していた。でも、こちらはどんなゲームで遊んでいたのだろうか。プレイステーショングランツーリスモの3を遊んでいたような記憶はあるけれど、それ以外はよく覚えていない。

こちらもほとんど覚えていないが、テレビも見ていたはずだ。自分の部屋にテレビはあったし、何かの番組は見ていた。でも、何だったかな。

こうして書いているうちに、音楽をよく聞いていたことを思い出した。CDは多い時で300枚ぐらいは持っていたのではないだろうか。

ここで過去を振り返ったのは、過去と比較すると今のインプット量は、非常に少なくなっていると感じるからだ。インプット量が少なければ、必然的にアウトプットできる量も減る。過去の自分はインプットばかりでアウトプットはしていなかったが、インプット量自体は結構あった。関心の赴くままに情報を仕入れ、物を買い、それをインプットとしていた。それが今ではどうかというと、

  • 物事への関心が薄れ、人への関心がなくなり、世捨て人に近いような生活をしている
  • 物欲は薄れた。でも、これは肯定的に捉えている
  • テレビ番組は観ない(そもそもテレビを持っていない)
  • ネット上のものも含め、ニュースも観ない(これはインプットが必要だと思えている今でも変えない。ニュースは基本、ネガティブな内容だから。気が滅入るから)
  • SNSも使ってこなかった(LINEは本当に嫌だな。その他のSNSも)
  • テレワークになって必要な会話以外はしなくなった(雑談がなくなったし、自分から誰かに話しかけることもしていない、する気がない)

という状態。確認してみると、こんな状況だったのかと。ただ、この状況を単純に悪いと決めつけることもできない。何故ならば、自分にとって不要なものを手放せている状態と捉えることができるからだ。つまり、新たなものを入れる余地があるということ。インプットし直せる余地がある。

なお、アウトプットをしなければならない、とは考えていない。あくまで「アウトプットすることが必要だと思えた」から、行動するのである。